続・憎国論

日本という国の、政治、経済、国防、民族論...etc 時事ニュースをもとに在野のジャーナリストのぼやき。

原爆は実験だった。

転載

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米・イエール大学にあったアブリル・リーボウ中佐の日記「災害との遭遇 広島日記1945」を紹介。安田高等女学校の生徒たちは、爆心地からの距離がわかっている特定の建物や壕内で被爆し、被爆時の正確な位置や予後も判明している例を発見したいと考えた調査団の狙いに合致する対象だった。戦後安田高等女学校は国民学校の校舎を借りて授業を再開。合同調査団がやって来て生徒の健康診断を行なった。リーボウ中佐の11月3日の日記には安田高等女学校の校長が校舎の実際の距離と相関関係にあると考えられる死亡率の傷害率の表を提出していたことが記されていた。調査報告書第6巻に傷害率の表が掲載されていた。アメリカの調査の狙いは原爆から身を守る条件を探すことだった。合同調査は11月で終了、資料はすべてアメリカに送られた。昭和26年4月、米陸軍は「原爆の医学的影響」を公表したが、第6巻は機密指定されたままだった。報告書の第6巻には生徒たちの死傷者数の数字や詳細が含まれプロパガンダとして悪用されるのを防ぐため機密扱いとされることが必要とあった。名古屋大学大学院の高橋博子研究員は、子供達が原爆被害を受けている情報が知れ渡ることが、核実験や核保有そのものなどが問題になってしまい反対世論がアメリカで起こってしまうことを恐れて公表しなかったと思うと話した。リーボウ中佐は日記の最後、気の毒な傷害者に接した時、罪悪感と同時に恥ずかしく思ったとし、願わくばこの罪悪が繰り返されないようにと記していた。日本赤十字社長崎原爆病院の朝長万左男名誉院長は、将来アメリカが核で攻撃された時の為に広島・長崎の被爆データが直接役に立ってくると話した。被爆資料は米軍が独占し治療に活かされないまま昭和48年日本に返還された。

 

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